認知症は、治療できない?予防できない?
小生が臨床に出て、認知症に出会ってから、早30数年が経ちます。
当時は、アルツハイマー病の患者さんは珍しく数も少なかった時代です。それからすごい勢いで一気に患者さんの数が増えました。それと言うのも、研究はしていたけれど、原因や症状の出現する機構が分からず、まして治療など研究に研究を重ねてもスルリスルリと逃げられて、全く手におえない状況で、時間だけがいたずらに過ぎていきました。
そのために治療できない、予防できない、そして発症の危険因子の第一位は「加齢」ですから、年を経るごとに日本は長寿大国となって平均寿命を延ばし続け、結果として患者さんの数が増えてしまったのです。近年、少しずつですが努力の結果が蓄積されて、ほんの少しですが光が見え始めてきたようです。
そこで、これまで認知症について全般的に分かって来たことを整理して、綴ります。
その始めは、認知症という言葉から来るイメージとは全く想像もできないですけど、実はこれらは認知症の症状だというお話しです。
もちろん症状には、危険なものから見過ごしておいてもよいものまで色々あります。
無意識に行なっている当たり前の行動が…
まず、朝、目覚めて周りを見て、見慣れた部屋の様子に我が家であると普通に認識して、何事もなく起きます。
ところが、今日は何日だっけと思って、日付がしばらく考えて出てこない。あれ、今日は何曜日だっけ、何月だっけとなると、これは疑うべき兆候に該当します。
起き上がって着替えをしようとして、ボタンうまくはまらない、紐が結べなくてもたもたしてしまう、チャックの仕方が分からずまごついてしまう。
食事の際、豆腐にソースをかけてしまう、納豆のパックを開けてビニールを取るのを忘れる、食べるまでにアレコレもたもたしてしまう。
食事で食べ方がきれいでなく、こぼしたり、自分の箸を使って大皿から物を取り分けるなど、マナーが低下する。
天麩羅を食べるのに、漬ける出汁と刺身の醤油皿を間違える、他人のお皿の食材をとって食べてしまったり、鍋料理で好きな食材を次から次へと食べ続け他人に譲ることをしなくなる。
コップにお茶や飲み物を注ぐときに、溢れさせてこぼしてばかりいる。
そして、食事の後に、いつも胸がつっかえる様で、不安で何度も医者を変えて受診する。
トイレに行こうとして、一瞬どっちだっけと考えてしまう。
トイレに通うのが頻回になってきた。間に合わないで漏れてしまう事がしばしばある。トイレで用足しの仕方に一瞬戸惑う。用を足した後に紙で拭くことや流すことをしない。トイレの中を彼方此方汚してしまう。
食器を洗う時に、あれどうするんだったかなあと思案してしまう。洗剤、スポンジなどの準備が出来ず、水道の蛇口をいじるだけである。
食器を持つ手とスポンジを持つ手の協調性が無く、汚れを落とすことが出来ない。
どういう手の動きをすればよいのかが、見えてこない。
新聞を読もうとして、読んだ語句の意味が分からなくて考えてしまう、知っているハズなのに。更に、日付を見てあれそうだっけと首をひねり、確認するためにテレビを付けて日時を探す。書かれている内容から連想しようとした時、何時、何処だったかなと連想が行き止まる。
散歩に出かけ、ふといつもの場所なのに分からなくなり、何処だっけと戸惑ってしまう。知っているはずの郵便局への道を間違えてしまう。
毎日、それこそ無意識に行なっている当たり前の行動に「少し違和感」が出てくるのです。